クラニオ・ノート

頭蓋仙骨療法の学びと日常生活のブログ

December 2013

自然治癒力はまず許すことによって、体の内部で強く働きはじめる。

多くの人は他人を許さないために治癒力を弱まらせ、自らを不幸にしている。

だから僕も含めて今の人は根本的に治ることは難しい。

競争を求めると仕方ないことかもしれないが。

基本的に根本や原因は療法に求めることではない。



 

なんというか、クラニオを一般の人に普及したいと思っている人もいるみたいだけど、個人的には細々コツコツ社会の片隅でやっていればいいものだと思っている。とりあえず自分の周りの人が幸せになればそれでいいと思うけど。縁みたいなものだと思う。

こういうこというと怒られるかもしれないが、正義感みたいなので、中途半端な形でクラニオを普及させられるとまずいような気もする。

まあ、僕もよいものは、みんなで情報や技術を共有、普及した方がいいと思うし、オープンにできることはした方がいいと考えているタイプだけど、最近の手技療法の状況をみていると、特に新興系のDVD教材やお稽古事の延長みたいな軽めのセミナーが激増している。セミナーを内輪で回しているような風潮はどうもなあと思うこともある。それに自己啓発系に近いものも多いと感じる。頭蓋系も疑問に思うようなものを多い。

まあ、本格派と呼ばれる人たちのセミナーが厳しすぎてついていけず、あるいは参加資格を満たしていないため、つい楽な方に流れてしまうのはなんとなくわからなくないけど。

だから技術の学ぶ上での資格制限や誓約書みたいなのを書くことも大事なのかもしれないと思い始めた。昔は嫌だなあと思っていたけど。ただ資格制限しても誓約書を書いても、ルールを破るような人も多い。男女年齢関係なく、恩を仇で返すような人が多い。まあ、インストラクターとしての資格があり、認定されているならいいけど。

CSTでもSOTでも国内においては、教育機関が限られていて、内輪の個人指導などを除くと勝手に教えてはいけないと思う。まあ、その辺はうまくテクニック名や技法のマイナーチェンジでごまかすこともできるが。


海外でも技法の肝心な奥義を秘密にしていることは結構多いらしい。まあ、中途半端な人やいい加減な人に教えたくないという気持ちがあるのはよくわかる。信頼関係は大事だと思う。それでも裏切り行為はよくあるみたいだし。国際セミナーでも日本人はレベルに達していないとか、信用できないとかいう理由で表面的なことしか教えてくれないことも多いようだ。そんな話を聞いたことがある。ただそのかわり想像力を働かせろということかもしれない。

中途半端なセミナーをやる人はやはりお金なのかと思うことも多い。まあ、それもビジネス的にはいいと思うけど。正直、施術よりも効率的に儲けることもできるので、それにはまってしまう気持ちもわかる。最近のセミナーは料金が極端に安いか(無料の場合も多い)、極端に高い。

1~2回セミナーに出てもそんな簡単に技術はマスターできないのが、普通だと思うけど、「誰でもできる」とか騙されやすい。誰でもできる簡単テクニックは変化や効果などの結果は出ても、所詮一時しのぎでたいしたことがないのが多い。

手技で自然治癒力を引き出したいのであれば、細かいテクニックより自然治癒力や体の仕組みを勉強した方がいいと思う。あとは体の使い方と受け手に対する当たり前の気遣いとか。これからの時代はある程度論理的な説明能力も必要だと思う。まあ、ほとんど手技は個人の能力に依存するところが大きいので、おそらく科学性はないので、独自理論を展開するのは仕方ないと思うけど。

実は、僕みたいな人間にですら、クラニオを教えてくれと言ってくる人がいる。僕はその権利も資格もないので、ちゃんと本を読んで、然るべきセミナーに参加した方がいいというけど、僕みたいな人に教えてもらおうなんて考える感性の人は、「本は読むの面倒くさいし、セミナーは高い」という。まあ、こういう人が多いから安っぽいセミナーが激増するのかもしれない。



セミナーサイドも経歴不詳も多い。

例えば10年で10万人診ているなら普通は口コミとかで余裕ないと思うから、派手に宣伝する必要はないと思うのだけど。

新興系のDVD教材とかどうみても、おかしいと思うんだけど。サイトの作りとか文章は感性が出るし、それは技術に関係してくると思う。

そんな都合のいい話はないし。

近道はないし、厳しいけどコツコツやるしかないと思う。

 

細かい修正点や粗探しをすれば、いくらでもあるが、そんなことよりもリズムを感じるためには、躊躇せずにあるがままの自然のリズム感と流れを大切した方がクラニオの本質に基づいた目的も達成されやすいと思う。

クラニオは非常にシンプルなテクニックだが奥が深く、施術の流れと接触感覚、そしてリズム感が要求される。クラニオで身に付けた体の動作や感覚は、他のテクニックでも生かすことができると思う。またその基礎となる考え方も自然の法則に基づいたものだと思っている。

クラニオの哲学には結果を出すために必要なエッセンスがつまっている。クラニオで結果を出すためには、一定の「流れ」が必要でその方向性を示してくれるのが哲学になる。 

哲学を大切にしている。全ての行動において原理原則のない行動は正解を導いてはくれないと思う。クラニオの施術でも同じように哲学のない施術をしても結果はなかなか出てこない。哲学を実践している施術者は信念を持ち、受け手に対しても信頼してもらえることが多い。 

今、クラニオに求められているのは、クラニオの目的であり、そのためには、クラニオの本質が何であるかを認識する必要があると思う。

クラニオのアプローチは、施術者の体全体で行うものであり、手先の感覚だけで行うものではない。体全体で行うことで、「リズムを感じること」が表現される。

 クラニオの「哲学、理論、技術」を守りながら、独自性を備えた原理と原則の実践をし、表現することが大事だと思う。哲学を深く学び、実践しているクラニオの施術者は、次のようなことを言っていた。「クラニオは、リズムを感じることだ」と。

クラニオの目的は、疼痛の緩和でも病気や症状の診断でも、治療でもない。体の一部で起こるであろうと思われるエネルギー停滞点という状態を感じることで、受け手自身が自己調整を達成するよう働きかけるだけである。よってクラニオの施術者は治療家ではない。

受け手が現状の何に不満を感じているのか、受け手をどのように誘導すべきか、何をもってゴールとするのか、受け手と術者の認識に間違いはないか、術者のできることはどの程度なのか、といった部分まで説明する能力が求められる。

正しい方向へ刺激し、振動が起こると、一番エネルギーが安定する位置で治まることが多い。これにより、塞き止められ、妨害を受けていたエネルギーの流れが再び本来の流れを取り戻す。その情報によってよい循環(体液を含むエネルギー循環)が起こる。そして自然治癒力が必要な分だけ働く。


CSRTを完了するということは、単に技術がそうさせたわけではなく、受け手のリズムと術者のリズムが術者の手を介して繋がったという意味である。そのため、CSRTの一連の施術の過程(流れ)がリズムの上で重要になる。

CSRTは術者と受け手との共同作業であることであることが多いから、受け手の協力は必要だし、信頼関係を前提にしている。


CSRTでは、なぜ調整を行う必要があるのか、次にいつ、どこを調整するのか、どうやって調整するのかを考えている。技術としては、CSTを中心としたテクニックを使用する。
 

発生学的に体の歪みを見ると、脳からの神経伝達の最初の出入り口である首に異常が起こると全身に問題が起こってもおかしくない。
 

言葉というものも大切かもしれない。その一言が受け手の心身の負担になっているようなものを取り除き、治癒の発動を助けることもある。もちろんそこには信頼関係が必要だと思う。


ラニオは、術者の思想的な部分というか、本質的な部分は結構大事だと思う。そういうのが手に出てしまう。


クラニオを施術に取り入れると、受け手の症状や求めるものと、クラニオの哲学や自分の信念との葛藤がある。そして結果が求められる。このプレッシャーに負けず、クラニオを実践している人を尊敬する。

「答えは決まっている。後は触れてリズムを感じるだけ」。

その言葉には様々な想いがつまっている。


クラニオの場合、施術者の意識や雑念が受け手の心身を干渉して妨害することがあるので、とても難しい。特に受け手が繊細(過敏)な心身の場合は。意図的に自分の意識を一点に集中させないで全体に散らすようにすることも大事かもしれないが、余計な力は入りやすい。


強い刺激を入れることで、脳へ向かうインパルスに対する脳の反応が不活発になっていくことがある。最初の数回は痛みを感じていても、回数が増すほどに痛みが感じられなくなってくる。これは繰り返された刺激によって神経系の働きが鈍くなり、それが結果的に鎮痛作用を発揮している。

自然治癒力が十分に働いているという状態を判断することができれば、施術をする必要がないということもあると思う。自然治癒力が働き出しても、瞬時に悪いところを全部治せるわけではない。自然治癒には待つことも必要だろう。それが自然治癒というものだと思う。

CSFや神経エネルギーが十分に流れるようになると、脳と体が正しい情報交換ができるようになり、 脳からの命令が体の各部位に伝わるようになる。この情報交換がうまくいくと体に無理な力が入らず、綺麗な姿勢で立つことができる。重力に逆らわないで立つことができることが効率のよい姿勢だと思う。

筋膜の歪みを排除できるような筋膜に対する微刺激は、全神経の活性化が起こり、体液の循環の大幅な改善、身体の関節の可動性の回復、構造的なバランスも変わり、症状の改善にもつながる。


歪みや変位という概念すらもないから、リスティングという考え方もないのかもしれない。術者側からの調整すらも必要ない。すべての人に同じアプローチ。そこに到達するまでの流れが大切なのだろう。


クラニオは触れ続けるため、人間性が出る。心の固さが手に出てしまうことがある。傲慢な人には向いていないのかもしれない。





 

必ず云々とか、あんまり気合入れない方がいいと思う。

その時点で心に硬さが生まれるような気がする。

まあ、決意するのはいいけど。

意志の強さは大事かもしれないけど、それが自分自身の自由を奪うこともあるかも。

施術の刺激は体にとって必要な情報を正確に伝えることと柔軟性が大事かもしれない。

大腰筋は自律神経に大きく支配され反射的に反応し、自分の力で自由に動かすには難しい筋肉といわれている。
だから、意図的な操作や体操で動かすこともある。

大腰筋は精神にも大きく左右される筋肉である。  そのため自分では気がつかないうちに、大腰筋に左右差が発生して体を歪ませることもある。

仙骨を中心に骨盤を整えることで、脊柱も正され神経の流れも健全化されることもある。

骨盤と脊柱の柔軟性が増すことにより、全身の筋肉の状態も良くなる。

骨盤を整えると言うことは、骨盤を歪ませる原因の1つの大腰筋を正常化することでもある。

人は生きていると、怒りや悲しみなど負の感情を我慢してためやすいが、

東洋医学ではそれらの感情はお腹にたまると考え、それをほぐすことにより感情も解放する。



 

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